Dear.



-7-



早朝の湖はぼんやりとした墨絵の世界。
紅葉が始まった木々がその艶やかな姿をくっきりと水面に浮かび上がらせるのは、もう少し後の時間だ。
うっすらと漂い流れる朝もやの中、三艇のボートが静かに…

 「出たー!」

 「巻け巻け!ガーッと死ぬほど巻け!」

別に、熊が出たとかナニが出たとかいうわけじゃない。
今日の獲物のブラックバスが、ポイントに落とし込んだプラグの挑発に乗りガバッと大口開けて水面からジャンプしたのだ。

 「重み感じたらロッド立ててっ、そらっ」

 「ヒュ〜すっげー。しょっぱなだぜ?」

上手く合わせて、バラさずキャッチ。
今日の一本目が初めての三十センチオーバー、トーナメントなら一応リミットに入るサイズだから、そりゃエキサイトもするよ。
なんせ釣り上げた本人、殆ど初心者なんだから。

 「やるじゃん。今のが『巻き合わせ』わかった?」

 「な、なんとなく。だけどバスってすごいっ。引きが全然違うんだ」

鮫島の奴、目キラキラさせちゃって。

 「鮫島ぁー、かっこいい〜」

送った激励は上機嫌のVサインで返された。
そんなの見たら、こっちも負けてらんないよね。

そろそろ夜明けが近いらしい。

僕らの他にもちらほらボートが出だして、淡い朝焼け色した水面には人影が点々と浮かび上がっていた。



金曜の夜、集合かけた僕らはよっちゃんの兄貴ふたりとその友達の大所帯で車三台に分乗し、芦ノ湖までブラックバス求めて夜通しのツーリングに出た。
免許のない僕ら高校生組は後ろで眠りこけるか騒いでるかっていう良い身分のまま、到着後僅かな仮眠を取ってさっそく早朝ゲームへ。

バスボートの他はエレキを積んだアルミボートが二艇、経験を考慮してそれぞれ組み分けをし、僕はコウちゃんとよっちゃんの上の兄貴、上総さんと組む事になった。

今年は夏に岸釣りに出かけたきりで、今回みたいな遠出は本当に久しぶりだ。
そう、キャンプの時皆で川釣りをして以来。
前は彰広とふたり、メンバー揃わない時でも近場のリザーバーなんかに通ったりしたものだけど、あの事があってからこのところは…。おかしいよね、釣りは本来一人で楽しめるものなのに。

久々のキャスティングに勘が戻り出したところで、僕たちは上総さんのガイドに従い、少し沖寄りのポイントを廻る事になって。
途中、更に沖のポイントへ向かう彰広たちのボートとも合図を交わした。

 「今日だけは、ぜってー譲らねぇ。ブツが呼んでるのは俺だからな」

 「へ。そのピーキーな装備でかぁ?」

軽くかましたコウちゃんの宣戦布告は仲間内実力No.1のよっちゃんに余裕たっぷりの笑みで軽くあしらわれた。

 「一億万年早いんじゃねー?」

「てっめーっ、釣果見てから大口叩けよ!」

挑発失敗。おいおい、こっちがキレてどうすんだよ。このふたりはいつもこうだ。

話は、昨夜車の中で話題に上ったヴィンテージ・スニーカーに端を発する。

 『あ、それなら俺…欲しい奴いたら安く譲ってもいいよ?』

今日のツアーに参加した上総さんの友達がポロッと漏らしたその一言。
コンビニ休憩中の僕らの間にあっと言う間に広まって、何時の間にかその獲得権をめぐる僕らのお遊び、つまり今回のゲームの商品に急遽祭り上げられてしまった、というのが事の次第なのだけど。
今回のターゲット、高校生の僕らにはちょっと手が出せない代物で、だから結構な気合も入ってるってわけ。

こんなふうに僕たちは時々何か賭けたりするんだけど、残念ながら今回のブツは小柄な僕と鮫島にはサイズが合わなかった。

 「おまえらー、そんなガッついてるとお宝に嫌われんだぜー?」

靴は履いてこそ価値がある。
今回は蚊帳の外だな、と隣で飽きれてた僕と鮫島の肩を抱いて、彰広が「なぁ?」目配せして微笑んだ。



 「何かさぁ」

コウちゃんの振ったロッドが、シュッと小気味良い音を立てた。

 「思ってたより、おまえら全然普通なのな」

 「何が…?別にいつだって普通だろ」

カリカリカリ。リールを巻き取りながら、僕は退屈をし出したコウちゃんに答える。

日が昇った頃の続けざまの大きなヒットの後、場所とルアーを変えた僕たちはボートにゆらゆら揺れたままポチャンと水面にキャストを繰り返しては当たりを探る、ややのんびりムードの時を過ごしていた。

 「…ふーん?」

 「何だよ?」

 「ちょっと珍しかったろ。おまえらが揉めてたみたいなの」

オレとよっちゃんならいつもの事だけどな。
突っ込むより先にコウちゃんは自分で言って、僕の逃げ場を塞いでしまった。

 「何々、斉木もケンカなんかすんの。誰と?女か?取り合ったとか?」

それまでひたすらキャスティングを繰り返してた上総さんまで面白半分で僕に話題を振って来る。

 「違いマス。してないですよ」

僕は苦笑した。

 「ケンカどころか話にもなんないような事…なんなら、彰広に聞いてみ…って、何袋開けて食ってんだよコウちゃん。お前コッチと話ししてたんじゃないのか?」

 「両方」

パリパリパリ。
いつの間にかコウちゃんは僕の見た事のない、多分新製品のスナック袋を開けて、まぁ食え、なんて言って僕に差し出した。

 「あ、何それ?俺にもちょうだい」

ごついけど、よっちゃんにそっくりな器用な手がごめんよ、と言って僕の目の前を通り越して行く。

いつものように軽口を叩き合い笑顔だって見せる、僕らのそんな態度を見ていたらそれほど気まずい事には思えないから。
コウちゃんも上総さんもこうして僕に話題を振れるんだ、冗談の種を探すみたいに。

確かに、深刻な事は何も起こっていないし、僕は嘘をついてはいない。
彰広とは、あれから特に何もなかった。
何となく置かれた距離感と僕の中に巣くった息苦しさは相変わらずだったけれど、それらすらやり過ごす術を近頃の僕は学びつつあった。
ごく普通に振る舞う事で最初に感じていた違和感もついには日常となるように、少しづつどこかを誤魔化しながら過ごして行く日々。

でも、それでいいんじゃないかと、この頃の僕は思い始めていた。
だって彰広は無言で示しているじゃないか。
あの事はなかった事にしようって。そうじゃなかったら…

 「ま、仲も良けりゃ揉め事のひとつぐらいはあるやねぇ、斉木」

 「そうですよねぇ」

上総さんの言うとおり、揉め事なんて本当は僕たちの間にだってしょっちゅうあったんだ。でも、大抵は些細な事が原因だったから、次の朝にはいつも解決してたりしてたけど。

 『マコー』

彰広がいつものように朝僕を迎えに来て、僕の名を呼んで、それで終わり。
それが、今度に限っては出来なかった…いや、それはちょっと違うな。
朝、あいつは僕を迎えに来た。
だけど僕たちは揉めてさえいなかったんだ。
だって具体的には、原因と言えるものなんて何も。うん。無かったんだから。

 「ただの勘違いでさ。学校の仕事忘れてブっちぎっちゃっただけ。だから仲直りも何も」

ポチャン、キャストしたワームがゆるゆると水面下に沈んで行く。

 「ネタにするほどの事、残念ながら何もないんだって」

 「そっかぁ…って、あっヤベッ、引っ掛けた?」

 「ほら、集中集中。大物釣るんだろ?」

深刻な問題なんて今までの僕らにはなかったし、これからも作る必要なんてない。
それぐらいコウちゃんだってわかってるだろうに。

それとも。気付いたんだろうか。僕たちの何かがかわってしまった事。

(まさか、ね)

ぶつぶつ言いながら、障害物に絡ませたフックをだましだまし手繰り寄せるコウちゃんの横顔を見て、僕は頭を横に振った。

ポイントに垂れたラインの先、水中に沈み込ませた擬餌のワームにポーズをかける。
それに動きを与えて辺りを徘徊するバスにアピールする。
かけた誘いに敵が食らいつくまで、幾度も試みて行く魚との駆け引き。

今、この湖水の中浮くでも沈むでもなくただ中層に留まっているもの。

僕と彰広、このワームみたいだ。浮くでも、沈むでもなく、留まっている。
結局のところ僕たちが友達であるという事実に変わりはなかった。
それを終わる事を、僕もあいつも多分望んでいない。
だったら、今感じてるこの少しの距離感も息苦しさも、僕はきっと平気になる。
今まで僕たちは仲が良すぎたんだよ。
だからおかしな夢を見た。
だから…ちょっとだけ距離を置いたら。
ちゃんと元に戻れるはずなんだ。
これまで通りコウちゃんとよっちゃんと鮫島、この仲間と過ごす時間を含め、あいつが僕には必要だったし、あいつもそう思ってくれているだろうから。

これ以上、何を考える必要があるだろう。

 「…あっ、やっちゃったよ…」

考え事しながらする釣りなんて絶対上手く行くもんじゃない。
銀の鱗一枚引っ掛けて、かかった魚はするりと僕の手から逃げて行った。

僕は、自分に嘘を付いているだろうか。



 「少し日が陰ってきましたね」

 「そうねー。ここらで移動して、ハードルアーに変えてみるか」

割合天気は良かったが、所々厚い雲が空を塞ぎ湖面に注ぐ日照量は減少していた。
さっきから小一時間ほどいい当たりが来ていない。
天候によってはバスの活性も変わって来る。
粘るのもひとつの手だけど、ベテランの上総さんはフットワークの良さがウリだった。

 「あれ、よっちゃんたちじゃないか?」

新たにキャストを始めた頃、近づいて来たモータ音はよく見知った連中のものだった。

 「どーよ、調子は」

 「ぼちぼち、ってとこ。今んとこ一本だけ」

上総さんの問いに自信家のよっちゃんが珍しく苦笑いした…つまり、そこそこのは上がってはいるけど、それが僕らに勝ってるかってのは微妙だって事。

これはいけるかもっ!始めになかなかの大物を釣り上げていたコウちゃんは上総さんの陰でこっそりガッツポーズをつくった。

 「後でライブウェル見るの、楽しみだねぇ」

 「……」

満面に浮かんだコウちゃんの笑みはちょっと薄気味悪かったかもしれない。

よっちゃんは彰広と顔を見合わせるとおしゃべりを止め、そのまま魚と向き合う事にしたようだ。

その五分後。

 「来た来た来た来たっ」

上総さんの読みは当たった。

突然叩き付けるように水面に上がった高い飛沫。
かかった獲物はかなりの大物のようだ。
徐々に上がって行くテンションの中、立ち上げたロッドの先で銀黒色の輝く巨体が水面から吠え上がった。
上総さんの押し殺した息遣い、キリキリと唸るラインの音。
何度か腰を落としてかわす締め込みに息を詰まらせて見守っていた僕たちは、自分達のロッドを静かに脇に置いてすかさずランディングネットを差し出した。

 「イャッホー!」

上総さんに最高のガッツポーズが出た。
釣り上げたバスは堂々の五十センチ級。まるまる太って重量もかなりありそうだ。

 「やっぱすごいよ、上総さんっ。今日一番の出来なんじゃないの?」

 「ちきしょー、やっぱ差ぁつくよな」

 「だよねぇ、この分だとよっちゃんあたりもデカイの上げてくるかも…ん?」

その時僕は気付いてしまった。上総さんのヒットに放ったらかしにしたままでいた僕のロッドがいつの間にかピンとラインが張っている事に。

 「ちょっと、来てるよ来てるっ!魚がっ」

この時、コウちゃんとふたりで抱えたネットから僕の手が離れた。普段ならコウちゃんだって二キロぐらいの重さ、なんてことないはずだけど。 

どっちが悪かったんだろう。

 「わっ、えっ」

急な重さに体勢を崩したコウちゃん、ロッドを掴もうとして不安定な格好で伸び上がってしまった僕。
カクン、と上がるネットの柄は僕の足元をすくい、結果僕の足はコウちゃんの食べ散らかしたスナックの油ぎった袋の上で踏ん張る事なくつるりと空を蹴った。

 「わーーっ」

 「…マコっ!」



ぷかり。水に浮かび僕は天を仰いだ。

 「信じらんない…」

ピーヒョロロー。
上空で、トンビが大きくひとつ輪を描いた。




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