Dear.



-1-



今朝は、鼻の頭があんまり冷たくて目が覚めた。
吐き出す息は白く、世界は音が消えてしまったかのようにシンと静まり返っている。

(寒いなあ……)

とりあえず部屋を暖めようか、そう思ってベッドから起き上がりかけてクラリ、再び突っ伏すように枕に頭を埋めた。
それでぼんやり窓ガラスを見つめた。
昨夜カーテンを引くのを忘れたらしい。このひんやりした空気はそのせいで。

(寒くて、当たり前か)

曇りガラスには時折、さらさらと何か柔らかな影が映っては消えた。そして窓一面、まろやかに発光した白がこの部屋を包んで。

(あれから、積もったんだ……)

冷たく、すべての尖ったものの消えた朝だ。


昨夜は仕事を早めに切り上げて、恋人と待ち合わせて久しぶりに夜の街へ繰り出した。
ここのところ…お互い忙しくてずっと会えなかった。
どうにかやり繰りつけてひと月振りにふたりで過ごせる週末、僕らが選んだ店は雰囲気も料理もお酒も最高。何より相手が、というのは言うもがな、な事で。

本当によく食べて飲んで笑った。楽しかった。
楽しくて、本当に…会いたかった。仕事の事も明日の事も忘れて、ただふたりのためだけに使えた時間。
ここ数日こんなふうに笑ってなかったことに気付いてしまった僕は、少しだけせつなくて…幸せだった。

かなりいい具合にできあがった僕らがふらつく足を支え合ってこの部屋にもつれこんだのは、もう今日の事。
背中で閉じた扉の前から一枚ずつ服を剥ぎ取り合ってベッドに倒れ込んでしまう間中、僕らはくすくす笑い続けていたように思う。
ストイックにもその晩初めて交わしたキスはシーツの上で、それはすぐに深いキスへ、互いの体に施す愛撫に変わった。

やがてうっすらと僕たちは濡れ始め…
漏れて行ったため息とともに、ベッドの上は、きっと、部屋のそこら中も。
豊かで華やかな、花のような香りに満ちていたに違いない。

立ち上っていたのは白ワインの香り。

重なる素肌から、交わす吐息から…
今晩初めて口にしたメゾンのブラン・ド・ブランで、たちまち僕たちは気に入りふたりで一本開けてしまったんだっけ。

僕たちはソムリエみたいに饒舌じゃない。
けれど、せつない程に絡み合わせた舌と唇、指、身体、それと愛してる時に立てる密やかな音、掠れて行く声で。
甘美な味のする互いの唾液と吐息をじっくり味わい合った。

立ち上る香気を練り上げて行くような、そんな熱くて艶めかしい行為。再び酔いを重ねて、もう、何も見えなくなる一歩手前で。

窓ガラスの向こうでは音もなく静かに。
粉雪が舞い始めていたのを、僕は微かに憶えていた。


「ん…」

隣で恋人が小さく身じろいだ。

少しだけ開いたその唇があどけない気がして、愛しい。
触れてしまった裸の肩が冷たく冷え切ってしまっていることに気付いて、やっぱり僕は部屋を暖める事にした。

素足で触れた床はあまりに冷たく、それでスリッパを探したけれど何だか見当たらなくて、仕方無しに昨夜散らばしたままの服を踏み渡って空調のリモコンを探し当てた僕は、そのまま郵便受けに向かった。

取り出した今朝の新聞と昨日一日ほったらかしのままだった郵便物は、すっかり雪の日の冷気まま冷たくなっていた。
もう三月になったというのに、東京地方を突然襲った寒波は一晩の内に大量の雪をこの地上に落っことして行ったらしい。
外は人通りも車の通る気配もない。

(これじゃ一日、車も出せそうにないな)

冷たい束に触れた指先を持て余した僕は部屋に戻ろうとして。
束から一通、エアメールが床へ落ちた。
差出人の名は、松本恭史。

それは、懐かしい高校時代の、短い刻をともに重ねた美しい人の名前。
カサリと音を立てた紙の束。
拾い上げたその指先からだけ、ほんのりと暖かかさを感じた。




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