約束







街頭のエキシビジョンが時報を告げる。
夜のとば口、駅前のバスデッキの上ではオペラ座の怪人みたいな仮面の集団がパフォーマンスを始めていた。
広場のオブジェに寄り掛かってそれを見つめている俺。

「今日は遅刻すんなって言ったの、あいつなのに」

つい出てしまった独り言。
一緒についた溜息は白く、ふわりそのまま闇に溶けた。

十五分までは遅刻じゃない、って俺。
でもあいつは決まっていつも三十分は遅刻する。なんでだ。
それがわかってても五分前に来てしまう俺がバカなのか?

秋も深まって冷え込んで来た夜風に身を竦ませた。足元に転がって来た赤い枯葉。落とした視線の先で、くしゃり、踏み潰した黒いブーツの先。

「何びっくりした顔してんだよ」

嵩人。
約束の時間、まだ、針が回ったばっかりだっていうのに。

「… 槍でも降ってくんじゃねーの、今日」

「何だって?」

「怖えーっつーの、いつも遅れて来るヤツが時間守ったりなんかすれば」

俺も一言多いのだが。
嵩人の唇の両端が吊り上がる。

「だって、今日おまえ待たせたら意味がないだろ」

「… そりゃどーも」

今日は俺の誕生日だった。
顔を見上げて。あいつの顔を見て。… なんかムカつく。だっていつだってその瞳は余裕を湛えて、笑いを含みながら俺を見ている。
面白がるみたいに、でも、慈しむように。
照れ隠しに、俺があいつの目線の10cm下から睨んでみたってそんなの全然効果が無い。髪をくしゃくしゃっと掻きまわされた挙句、
行くぞ?
そう言って嵩人は俺の腕を引いてそのまま歩き出した。

「おいっ、どこ連れてく気…」

掴まれた腕はコート越しなのに。
なんだろ、やけに暖かい。

 

連れて行かれた先はなんの事はない、俺らが通う高校の屋上だった。

夜の学校。鍵かかってんだろうよ、って突っ込む前にそこへと上がる外階段の扉はやけに簡単に開いてしまった。
ちょっと待てよ、壊れてたのか?ちょっと物騒だろ、まさかお前がやったんじゃないだろな。
そう言ったら殴られ… はせず、あいつは方眉上げてただニヤリと俺を見た。
そうなのか。どうなんだ。

ここへは、俺、朝のHRの時間に一服してるこいつを呼びに何度か来てた。
望遠台の上、立ち上る細い煙。そこでいつも嵩人はどこか遠くを見てた。
太陽の調べを聞いてるみたいに。いつか映画で見た、天使みたいに。
いや、あいつらよりお前は。もっと多感で、多情で。鮮やかで、眩しくて。

「早く戻って来い」

迎えに上がって来た俺が声掛けると、あいつは煙草の火を揉み消してこっち側に降りて来る。
それでヤニの臭い消しのガムを口に放り込んでこう言うんだ。
行くぞ?
ちょっとまて、迎えに来たのは俺だろう。俺もほっときゃいいのにな。

でもお前さ。
一度も俺に一緒に付き合えだなんて言わなかったな。
一緒に過ごした三年間。友達だった時も、特別になった後も。

「… すげー。こんな眺めだったんだ」

確かになんの事はないけど。

秋になって冴え渡って来た夜の空気が魔法を掛けたのか。
ゴミゴミした街も闇に紛れれば宝石を撒いたみたいにだってなる。
俺らの住む街から少しだけ高台に位置する屋上で見せられた、夜色のパノラマ。
雲も掛かってない晩で、月のない夜空だった。星が瞬くのが分るくらい。そう、いつもより…
なんで、こんなに綺麗?

「成生」

俺の名前。それをかたどる嵩人の唇、その声。

「… もう一回名前、呼べ」

「成生」

「もう一回… 」

声が震えてしまった。抱き寄せられて唇が重なった。
少しも変らない、俺より少し高めの体温。
重ねながら、舌先で渇いた唇の隙間を濡らすその仕草。
吹き込まれる吐息も、絡めた舌も、髪に残る煙草の香りも、抱きしめるその腕も、その身体も。
全部嵩人、お前なのに。

「ごめんな、誕生日だったのに」

そうだよ。俺の誕生日だった。

「ちゃんと会いに行けなくて、ごめんな」

そうだよ…

「そうだよ。悪いよ、本当に…」

きつく抱かれてキスの合間、息が詰まりそうになる。
睫の縁に溜まった涙を嵩人の指が拭きとった。
気付いてたよ。
街の明かりや星がやたらきれいに見えたのは、俺の睫がさっきから涙で濡れていたからなんだって。

閉じたコートの中で俺が締めてたネクタイの色は黒。
俺は、今日嵩人の墓参りに行って来た帰りだったんだ。

 

あの日、駅前のバスデッキの上で待ち合わせをしてた。
連れて行きたい場所があるからって嵩人が言ったから、俺は塾をさぼってあいつが来るのをそこで待ってた。
三十分過ぎて、一時間が過ぎて、来ない。
繋がらない携帯に、やっとかかって来た着信は俺の母親からのもので。
それであいつが事故に遭ったのを聞いた。
ここに来る途中、バイト先から出た十字路で、歩道を乗り上げて膨らんで曲がって来た軽トラに嵩人は後から跳ねられたって。
病院に運ばれたけれど、ほぼ即死だったのだと。

どうして。
どうしてあと三十分遅く、どうしていつも通りに来なかった?
誕生日だろうと何だろうと、俺は、いつだって待ってたろ。

街頭エキシビジョンから流れるJリーグの歓声の声、耳から消えない携帯の着信音。
あいつは一人で先に逝った。
神様なんて、いない。


あれから五年だ。
俺は地方の大学に進学した。それからは一度もここには戻っていなかった。
葬儀に出席して献花もした。眠った顔だって確かに見た。でも。思い返すたび、近づこうとするたび、身の半分が、切り取られたみたいな喪失感に悲鳴を上げた。
気配が無くなったと感じたく無かった、あいつが居なくなったと認めたくなかった。
そのうち実家は親の転勤で別の街に移ってしまい、ここは俺が暮らす場所ではなくなった。戻る直接の理由が、無くなった。

そうして、時間は過ぎていったけど。

考えないようにしてた。
忘れようとしたよ、居なくなったお前の事。
だけど俺の誕生日がお前の命日なんて、一生忘れられる訳がないだろ。

嫌な事も良い事も色々あった。でも。
明るい日差し、風にそよいだ白いシャツ、揉み消した煙草の匂い。
色んな人に出会って別れて、それでも心の底に残ってた鮮やかな記憶。
気持ちって留まるものなんだな。それなら、忘れようとするんじゃなく、思い出と一緒に。

就職の年を迎えて、俺はこの街に戻って来た。
やっと、お前が死んだって認められそうな気がした。
それで、初めてお前が眠る場所に行ったよ。
眺めのいい場所だったな。お前がよくいたこの場所に似て。

「ここでこうして、ただ眺めてみたかっただけだったんだ、お前と」

「うん…」

俺な、あれからずっとあそこで。気持ち、待ったままだったけど。
今、お前が何したかったのか分ったから。

迎えには来ても、二人で一緒にいた事の無かった屋上。
踏み込んじゃいけないような気がしてた、お前の場所。
でも本当は俺だって隣に並んでみたかった。お前が何を見てたのか知りたかったよ。

「いつも待たせてて、ごめんな」

「うん…」

「もう、側には居れないけど、俺は…」

「言うな」

居れなくたっていい、待っててくれただけで。俺を憶えててくれただけで。
ごめんな。忘れようとしたりして。俺、ずっとお前の事憶えてるから…

顔を埋めた広い胸、髪を撫でる大きな手のひら。嵩人。

「好きだ…」

その言葉だけで。


形の変る月のない夜に。
俺は居なくなったあいつと、変る事のない、永遠の約束をした。



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