□ 視線の先 




母の経営してる店舗のひとつで、夜ピアノを弾いて客にサービスするアルバイトをしている事を、気に入りの後輩にだけは教えていた。

『今晩遊びに行ってもいいですか?』

何か悩んでるようだったあの子が連絡をくれたから、週末で混雑してた所をマネージャーに無理言って席を押さえて貰った。
友達を連れて行きます、とも言っていた。彼女でも連れておいで、と前に話した事があったから、もしかすると何かいい事があったのかも知れない。
あの子が上手くやれたんだったらいい。
そして、俺も今日は。

店が開いて一回転した後、出番でピアノの前へ出る。
指慣らしの曲を流し弾いている間に、フロアへあの子がやって来た。
白のタートル、黒の別珍のジャケット、アクセサリーはバックルに特徴のあるベルトだけ。
飾り立てるでもなくキレイめな感じは制服をあまり崩さないで着るあの子らしいと思った。
そういえば学校の外で会うのは初めてだ。
いつもメロンパン抱えて牛乳と、俺とあの子は気が向いた時一緒に音楽室で昼飯を食うっていうだけの仲だけど、会えばいつも笑ったり泣いたりで忙しい。
それでも面倒と思わず俺が構ってやろうと思えるのは、どこかしらあの子を特別に思っているって事なんだろう。
初めて会った時、大きく見開いた目であの子は俺のピアノをきらきらしていると言った。
いいや、きらきらしていたのは君の方だよ。
まっさらな感想は二心がない標なんだろう。出来る事ならそのまま、その感性を大事にして欲しいと思った。

そしてあの子に連れ立って見えたのは長身の…なんだ、男か。でも。
見覚えがあると思った。誰だったか。いつだったか。
そんなに前の事じゃない、俺があの子と出会って少ししてから?



(身に覚えはないんだけど)

この学校に来てからは誰かの女も男も喰ってはいない。
愛想も特別振り撒かない代わりに恨まれるような事も、特にしてはいないはずだ。
なのに。この感じは、何。

ささいな思惑、憧憬、或いは嫉妬。
それなりの見てくれとスキルのお陰で俺は小さい頃から人の注目を集める事に慣れ過ぎていた。
その俺が初めて受けた類のその視線。

(何なんだよ)

好奇心に負けて振り返った途端、それは途切れた。
立ち止まって回りの様子を窺がってみたけれど分らない。
校舎の玄関口へ続く廊下は下校する生徒と部活に残る生徒が行き交い雑然とし過ぎていて、誰がどれとも分らない。そんな中で誰が。
恨み?嫉み?
違う。
瞬間、照準を合わせたように背中を強く焦がした。

「松本くーん、帰るなら一緒しよーよ」

人をキャッチするのが上手い女の子、隙を作ると途端ペースを崩されるから嫌だ。
無防備に廊下に突っ立ったせいで同じクラスのなんとかっていう子とその連れの数人に捕まってしまった。
編入のダブりで何かと毛色の違う俺に、貴女達が興味あるっていうのは分る。
可愛い女の子も嫌いじゃない、だから優しくもするけど。
こんな風に興味持たれるのは正直今は面倒だった。
だって俺はもうその頃一人の人でいっぱいになっていて、他の興味が入り込む隙なんてこれっぽっちも残っていなかったから。

ああ、それにしてもさっきのは。

本音は内側に隠したまま廊下で溜まった彼女達の喋りに付き合っていた中途半端な俺を、
ガヤガヤ後からやって来た野球部のユニフォームを着た集団が通り越して行った。
何気に気が削がれてしまった中で、彼らを眺めた俺と数人の視線が擦れ違いつつぼんやりと合う。
そしてその中の一人が、こちらを見て何も映さない涼しい顔のまま俺に目礼して通り過ぎて行った。

君か。

確かに涼しい顔で極力感情を排していたように見えたけど、陽によく焼けた端正な顔の彼の目元は元々の印象が強い。
きつく放った光を隠し切れてはいなかった。
染めた事なんてない短く刈り込んだ黒い髪、鍛えられて健康そうな体。
凡そ俺と付き合いの無いタイプの知らない子だ。まあ、知らないでいるのはこっちだけなんていうのは良くある話だけれど。

何でかは知らない。
だけどその視線は俺を直に映さず強く突き抜いて行った。
感心を逸らすみたいに、こちらを見た後ふいっと無視するような感じとは違う、強く突き抜いて行く感じ。
その感情の矛先は直接俺に対してのものではない。
なら、俺を通り越した視線の、その先って。

俺、何かしたか?

そう呼び止めた方が良かったか。
目の端で離れて行く白いユニフォームの背中を追い、目の前の女の子に口だけ動かしながら頭の中の半分でそう思ったけれど、
(取り敢えず、今ココにいるこの子達とは関係なさそうだし…)
結局、俺はそのまま遣り過ごす事にした。
何しろ面倒臭い事は勘弁だったんだ。その時俺は色々と、休暇中だったからさ。

気にはなった出来事だったけれど、それきり忘れてしまっていた。



用意された席へ彼らをギャルソンが案内する。
長身の体が連れ立って歩きながらあの子の半身を守るように立ち、気遣い、そしてこちらを上目遣いで窺がった。
俺に笑いかける屈託無いまっさらなあの子の視線、それとは対照的な彼の視線。
彼があの子を通して俺を見る。その焦点が突き刺さった。
あの時の感じがフラッシュバックする。

なるほどね。
今度の矛先は分り易い。

背の高い黒髪の君、心配する事ないよ。

俺はもう他の人のものだから、その子にそういう意味での下手なちょっかいを出したりはしないよ。
その子は弟みたいに可愛がっているだけだからさ、そんなに同属嫌悪すんな。
君の思いの真っ直ぐさと強さはきっと誰にも負けないから。

安心して上手くやるといい。
大事にしてやりなよ。応援するよ。



でもまぁ、だからと言ってあの子に俺が何もしていないとは。

残念ながら言い切れないかも、知れないけどね。


end.



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